「どうせ出来ないからやらなーい」
はじめて聞いたときは衝撃的でした。まだ数年しか生きていない子が言うことなのかと。
やってもいないのに、何を言ってるんだ???全くもって理解不能でした。その子にとって、決して難しいことではないのに(むしろやるだけなら誰でもできるのに)。
今回は、ちょっとやってみたけれど、、、というお話です。
諦めが早くて良い時もあるかもしれませんし、そうではないかもしれません。答えがない問題だとは思いますが、困っている方も多いのではないでしょうか?
諦めが良い と すぐ諦める のは、似て非なるもの。
どうせ出来ないから、という子とも共通するのですが、できる / できない が軸になっているからではないかと思います。個人的にはそれって結構しんどい。
仕事に置き換えてみます。あなたは傘を売っています。オープン日の天気は快晴。1時間経っても2時間経っても売れる気配がないどころか、お客さんが来てくれません。
2時間経ったところで、今日はもうおしまいにしよう。と閉店するのは諦めが良いのでしょうか?
私は、こんなお店だったらすぐ潰れるなと思います(そもそも何で傘屋さん?というのは一旦おいといて)。晴れてるなら日傘を全面的にアピールするとか、プレゼント用の傘をアピールするとか、何とかアイディアを絞り出して、それでも今日はダメだからというならわかります。
天気という条件に左右されず、工夫してみたら?が本音です。
なぜ、すぐ諦めるのか?
出来ないから諦める。これに尽きると思います。
もう少し詳しく言うと、出来るのが凄いことで、出来ないのは凄くない、褒められない、かっこ悪いと思っているからではないでしょうか?
そう思わせているのは、周囲の環境です。
すぐ諦める子もいれば、出来ないけどやってみよう!とチャレンジする子もいます。出来ないなりに変化を楽しんでのめり込んでいたりもします。
違いは何なのか?
そこに条件や評価をつけているか否かです。
例えば、「100点取ったら!ご褒美に〇〇買ってあげる」全く同じ状況ではなくても、条件付きで接するばかりになっていませんか?
子どもって、「見て見て~」とよく言いますよね。単純に、まずは見てほしいだけなんです。承認してほしいだけなのに、大人の勝手なものさしで評価される。別に褒めてほしいわけではないのに。
常に評価ばかりだと、大人でもうんざりします。そして、不正にも繋がりかねません。なので、KTラボ運動教室では定期的な測定(体力測定のようなもの)は行いません。
ぐんぐん伸びる!
スパルタで、〇〇ができるまでやり続けろ!タイプは、初めのうちは伸びるし結果が分かりやすいと思います。それも1つの方針だとは思いますが、個人的には好きじゃありません。
半年、1年で目に見える結果が出る子もいれば、数年経っても結果が出ない子もいるかもしれないけれど、ぐんぐん伸びるのは、出来ようが出来まいが何でも楽しめて、工夫して、変化に気付いたり、他人を観察してみたり、更なる案を出せたり、自分でどんどん考えて行動できる子だと思います。
いろいろ経験してみた中で、コレだ!と思うものに集中したら、スポーツに限らずどのジャンルでも活躍する確率は高いのではないでしょうか。
コメント