英語、プログラミング、体操、スイミング、サッカー、ピアノ、そろばん、○○式など、、、
毎日習い事で忙しい子どもたち。
幼児も例外ではありません。
お受験戦争に始まり、周りがみんなやってるからと、焦りや同調もあるのでしょうか??
今回は、習い事の選び方と習い事の懸念点についてお話していきます。
主語は誰?誰のための習い事?
「なぜ、その習い事を選んだの?」
これに対する答えは、大きく2つに分かれると思います。
- 子どもが「行きたい!」と、自分で決めたパターン
- 親に進められて通うパターン
実はコレ、とっても重要な問題です。
「でも、だって、○○ちゃんがそう言ったから」など、ネガティブワード漬けにならないためにも、全てを人のせいにするような人にならないためにも、「自分で考え・判断する」ことが大事かと思います。
*子どもだけじゃなくて大人もね
そうは言っても、様々な事情で難しいのも現実。
日常の、もっと小さなことから考える癖をつけていきましょう♪
・お箸で食べる?スプーンで食べる?
・赤い服を買うか、青い服を買うか。
・ゲームをしてから勉強するか、勉強してからゲームをするか。
ちゃんとできる・上手にできるが正解の日本型教育、自分で考える・判断するを重要視する欧米型教育
読み書きできる年齢がどんどん早まってきているように感じる日本の子どもたち。
「もう字が読めるの?凄いね!」と思うシーンや、実際にこのフレーズを発したことがある人も多いはず。
でも、個人的には「どっちでもいい」と感じます。
3歳で字が読めようが、英単語を知っていようが、
6歳で字の書き順が完璧だろうが、
8歳で掛け算(九九)を暗唱できようが、
中高生で英語のスペルや文法がバッチリだろうが。
「どっちでもいい」を通り越して「どうでもいい」とさえ思ってしまいます。
*スマホが、コンピューターが、みんなやってくれます
子どもをインターナショナルスクールに通わせている友人は、みんな口をそろえて、一番初めに「単語(スペル)の間違いや発音の間違いは絶対に指摘(注意)しないでください!」と言われたと言います。
正確性より、自分の意見を述べる力や説明する力、コミュニケーション能力の方がよっぽど大事ということでしょう。
日本もそちらにシフトする傾向にありますが、根っこの部分では、、、?
東大生のほとんどが幼少期に思いっきり遊んでいた!
幼少期のお勉強は重要だ!という論文は、不思議と見たことがありません。そう提言する人にも会ったことがありません。
でも、東大生のほとんどは幼少期に習い事をしていなかった!という追跡調査はありますし、公〇式学習法や運動会・発表会について懸念点を挙げる人(教育者)の声は結構耳にします。
幼少期に自分で遊びを考え、夢中になって遊び倒した経験のある人の方が大勢しやすいという話もよく聞きます。
何が正しいか?
その答えは、人それぞれだと思います。
個人的には、周りと比べたり・気にしたり、マウントを取ったり・取られたりばかりの日常なんて疲れますし、言われたことをやるだけなんてつまらないなと感じます。
私には「自分で考え、判断(行動)し、選んだものを正解にする」という考え方がしっくりきます。
だから、脳ミソと使って全身フル活用するコオーディネーショントレーニングが好きなのかもしれませんし、何が起こるかわからない雪山遊びが好きなんだと思います。
習い事って必要ですか?
習い事の教室運営をしている私が言うのも変ですが、習い事はしなくてもいいんじゃないかと思います。
つい先日、ドイツで行われたサッカーの国際コーチ会議に出席した人の話では、ドイツ・サッカーU20の監督が、こんなことを言及していたそうです。
「5~12歳までの子どもにとって、良くない指導者にサッカーを教わるくらいならコーチ無しでサッカーをしていた方がいい」と。
良くない指導者像が人によってバラバラだとは思いますが、誰でも簡単に教えることができてしまうだけに、その弊害は大きいんだろうなと思います。
そして、その弊害に気づくのはずっと先だったりします。何なら気づかないで苦しむ人もいると思います。
これは、サッカーに限ったことではありません。
「誰かに教えてもらわないと何もできない」なんてことにならないように。
習い事の選び方
習い事をするなら、基本的には体験してみて「合う/合わない」で決めたらいいと思います。
その上で重要なのは、その人(会社じゃなくて指導者本人)がどんな発言や発信をしているか。
*発信していない場合は要注意⚠
ホームページは良さそうに作りこむことができますし、広告にしても体験にしても同様です。
情報や選択肢がたくさんあることは良い事ですが、鵜呑みにする前に、ちょっと考えたり比較したり疑問に思う癖をつけることをオススメします。
良い出会いがありますように♪
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